ぼんやり参謀

好きな事について書いたり、薬にも毒にもならないことを考えたりします。

親の心たまごっち知らず

たまごっちがまた死ぬようになったらしい。

 

というよりも、「『たまごっちが死ななくなった』というニュースが溢れている」ということがとても面白い。

「たまごっち 死なない」で検索をかけると、内容の濃さの差異はあれど、どの記事を見ても2016年5月30日に更新されている。なんだ、何があったんだ。

 

どうやら5月30日にテレビ番組「スッキリ!」で取り上げられて以来話が拡散したらしい。つまり大元のソースはテレビということなのか。KAI-YOUというサイトにはそう書いてある。そして他の大体のサイトにはKAI-YOUのリンクが貼られている。なんだ、そういうことか。

特大スクープをほぼ同時に複数人が掴んだならわかる。ただ、あるサイトのコピペ、それも大元はテレビの情報であるものをこんなにも乱立させて何の意味があるんだろうか。しかもそんな急いて同日に。いやはや全く。

 

 

 

ちなみに死ななくなったたまごっちは、家出をするらしい。

思うのだけれども、そっちの方が怖くないか。死ぬこと自体は最終的には避けられない以上仕方ないけれども、家出は愛想を尽かされて出ていくってことだぞ。自分が手塩にかけて育ててきたくちぱっちが、自分を見捨てて勝手に一人で生活するんだぞ。おい、ちゃんと飯食ってんのか。みすぼらしい格好してんじゃないか。生活費振り込もうか。

親世代には、死ぬことよりも刺さりそう。

 

kai-you.net

がんばれゴエモンの話をしよう

64で一番面白いゲームは何か。当然スーパーマリオ64だ。異議は認めない。
では他に最高のゲームはないのか。ある。がんばれゴエモンだ。
今日はがんばれゴエモンの話をしよう。

 

ニンテンドー64にて発売されたがんばれゴエモンのゲームは2つ(正確には3つ)ある。「がんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどり」と、「がんばれゴエモン でろでろ道中おばけてんこ盛り」だ。今回はそれぞれについてまとめていきたい。

ちなみに3つ目は「がんばれゴエモン もののけ双六」だが、これはがんばれゴエモンの本流であるアクションから外れているため、今回は割愛する。

 

 

がんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどり」は1人用の3Dアクションゲーム。

全編3Dマップで作られており、街から街へ街道を経由して操作キャラを切り替えつつ日本全国を進んでいく。五重塔金比羅坂など各地の名所も再現されており、それぞれの街に関してもマップや方言、売られているアイテムなどで実在する街が再現されている。全国各地を旅している感覚を感じられるのがとても良いところだ。完璧なタイミングで差し込まれる夕焼けなどもあり、雰囲気ゲームとしての要素も強いかもしれない。

 

また、後述するでろでろ道中と比べて、ゴエモン制作委員会の独特なセンスが光っているのが特徴的だ。通常の街や街道は前述のように雰囲気が重視されているが、城ステージ(いわゆるボスステージ)では回転寿司や鯉のぼり、UFOキャッチャーやビリヤードなどがギミック、また敵として登場する。文字に起こすと全く意味が分からないが、このやや奇妙ななんでもあり感がハマると楽しくて仕方なくなってくる。メインとなる敵もオカマだったりミュージカルだったりするし。

 

 

対して「がんばれゴエモン でろでろ道中おばけてんこ盛り」は1人〜2人(隠し要素で最大4人)用のステージ選択制の横スクロールアクションゲーム。

ステージ形式は平たく言うとスーパーマリオ3に近く、1面、2面と区切られた中ですごろくのマスのように各ステージや街が配置されている。各面に1つある城ステージをクリアすることで次の面に行けるようになる。

城ステージの前には必ず関所が設置されており、通るには一定枚数の手形が必要となる。手形はステージの初クリア報酬の他、街で受けられるミッションの報酬として手に入る。そのため城ステージに向かってステージをクリアしつつ、ミッションをクリアして手形を集めるのが基本的な進め方となる。
ネオ桃山幕府と同じく操作可能なキャラクターは複数存在し、ステージ毎や、ステージ内で切り替えつつ進むことになる。
ネオ桃山幕府に比べて難易度はやや高め。また、協力プレイが可能だが、2人の方が難易度が高かったりする。個人的にはアクションゲームとしてこちらの方が好き。

 


また、どちらも音楽が大変良い。客観的な尺度で言うと現在でもサントラが数万〜数十万で取引されているほどだ。もちろん欲しい。アマゾンの欲しいものリストに載せておきたい。

特にネオ桃山幕府では旅というテーマにマッチした音楽が流れ、現在でも実際の旅番組に使われていたりする。「ヤマトナデシコタビノハナ」や「朱に交われば禅の心」が個人的には大好きだ。
また、どちらも城ステージに流れるBGMは階層を進む毎に(城ステージを進んでいく毎に)ベースやドラムなど音が足されていく仕様になっており、これが非常に熱い。

ボスに向かうにつれて盛り上がっていくBGMは闘争心を掻き立てられるものもあれば、危なっかしい足場が多い中焦らせるようなものもある。「殿様救出大作戦」や「Burning My Soul」、「サンシロウ」などは是非一度聞いてもらいたい。

 

 

そんなこの2作が自分は死ぬほど好きなのだが、何故だか周りに好きな人がほぼ全くいない。みんな人生を半分くらい損してるんじゃないかと思う。

是非プレイしてもらいたい。ネット上に上がっているサントラを聴くだけでもよい。ただ、ただ、プレイ動画などを見て満足するのはやめてもらいたい。なんとなく。

 

 

 

そういえば、どちらも歌付きのOPがあるけれども、当時的にはすごく珍しかったんじゃないかと思う。いや、あまり自信はないから強くは言わないけど。

 

 

ソーセージと法律は作る過程を見ない方がいい

ドイツのことわざにはソーセージを使ったものがある。すでにnaverまとめ等に上げられているため、ここでまとめ直すことはしないが、「ソーセージにはソーセージを」「ベーコンを求めてソーセージを投げる(=海老で鯛を釣る)」などがそれだ。

そういう国民性、とてもいいと思う。日本もお寿司とかでことわざを賄うといいんじゃないか。例えばこんなの。

 

・シャリを締めてネタを忘れる

-些細な事に気を取られ、大事を失うさま

 

・鉄火の河流れ

-人気のないさま

故事:回転寿司屋にて、鉄火巻がいつまでも取られずにレーン上を流れていたことから。

 

・あがりとオヤジは渋めがよい

-決まりきった定番のたとえ

*あがり…寿司屋で出されるお茶の通称

 

・寿司は1日にしてならず

-長年の努力なしに成し遂げることはできないというたとえ

 

・皿洗い3年握りに4年(表記ゆれ:皿に3年握りに4年)

-長年の努力なしに成し遂げることはできないというたとえ

 

ちなみに蕎麦についても考えようとしたが、検索してみたところどうやら普通にあるらしい。まじか。

なあ兄弟

いちゃりばちょーでー」という言葉を知った。

沖縄の言葉で「一度会ったら皆兄弟」という意味らしい。

なるほど、いい言葉だ。EXILEが日に日に増えていくのも分かる。

 

少し昔には「我ら生まれた時は違えども死すべき時は同じ日同じ時を願わん」という言葉もあった。これも兄弟の誓いを立てた男達の言葉だったはずだ。

残念ながら三国志には明るくないので、歴史的な背景だったりなんなりはよく知らない。しかし、ズッ友感溢れる良いパワー・ワードだなと思う。飲み会の度に言ってまわりたいセリフだ。

 

飲み会といえば、以前飲み屋で出会ったエジプト人が、「国籍なんて関係ない、大事なのは気持ち」と流暢な日本語で喋っていたのを思い出した。

あの人、色が黒いだけで本当はただの沖縄県民だったのかな。

次は銀色の全身タイツを開発しよう

巷でよく聞くVR、なんとなくすごいことは分かるけど、要るか要らないかで言われたらやや要らない気がする。

これはおそらくVRがプラスアルファの技術であるからだ。

生活必需品であったり、あからさまに生活品質を向上させるようなものは、出現と同時に爆発的にヒットするだろう。冷蔵庫とか、パソコンとか。

それに対してVRはプラスアルファという感覚を受ける。つまり、あれば何かしらがそれなりに良くなるけど無くて困るわけではないということだ。いや、VRに詳しいわけではないので自分が知らないだけの可能性もあるけど。

まあ、考えてみればスマートフォンもあまり必需品でない気がするが、これだけ普及したのだ。VRもそのうち一人一つは持ち歩くようになるんだろうか。

街中とかでも付けて歩くの、「21世紀の未来の地球」に近づいた感じがするな。見た目だけ。

JMK!

ぐんまの魂、上毛かるたが好きだ。

自分自身ぐんまに住んでいたこともあり、一通り叩き込まれてはいたのだが、それも相当昔の話である。

読み札もだいぶ忘れていたので、いい機会と思って空で暗唱できるまでには叩き直した。

こうなると否が応でも高まってくるのが大会への参戦欲だ。

 

調べてみると、上毛かるたは2013年より全国大会が開催されているらしく、全国の精鋭達が切磋琢磨しているらしい。

さらに、自分みたいな未熟者向けに,"for beginners"版も今年開催されたようだ。

出たい。for beginnersでいいから出たい。

今年は1月開催だったので、来年も同時期に開催してくれると信じて、残る8ヶ月鍛錬を積んでいきたい。

www.kingofjmk.jp

 

鶴のコスプレをしたぐんまちゃん、一昔前の暴走族っぽい。

東京ドームいくらか分の愛

物の大きさを示すのに「東京ドーム○個分」という表現があるが、なぜ東京ドームなのか、その歴史が知りたい。

理由はおそらく有名だからとか、広いからとか、そんなものなのだろうが、なぜ「東京ドーム」で定着したのか、誰がどんな意図で言い出したのかが知りたい。

建設当時よっぽど大きく、インパクトがあったからだろうか。

最近はどんどん高く大きな建造物が建てられているのであまり大きさに驚くことは無くなってしまったが、もしも東京ドームよりもインパクトのあるものが登場してしまったら単位としての東京ドームはお役御免になってしまうのだろうか。

そもそも東京ドームにインパクトを感じるのは建設当時の一定層だけだと思うので、もうしばらく経てばその時代のテレビを観る層にあった単位に世代交代するのだろうか。渋谷ヒカリエ5本分とか、バスタ新宿6個分とか。

 

なんか面白いこと書いてないかなと思って調べていたら、DANCE☆MANの「ドーム3個分ってどのくらい?」という曲が出てきた。ちょっといい曲。

コミックソングめいた曲の中にスッと差し込まれる真摯なメッセージ、とても好き。