ぼんやり参謀

好きな事について書いたり、薬にも毒にもならないことを考えたりします。

断言がしたい

断言がしたいのだ。

「〜と考えられる」「〜と予想される」「私の知る限りでは〜」「〜であるとは言える(と思います)」

大学院で研究をしていると上のような言葉が頻出する。もううんざりだ。思いつく限りの断言をさせてもらうぞ。

 

  1. カフェではアイスティーを頼め
    最近のカフェはメニューが難しい。メニューの商品名も難しければそのレイアウトも難しく、頼みたい商品を選ぶのは一苦労だ。だが安心して欲しい。アイスティーなら間違いなくある。メニューを見るまでもなく、自信を持ってオーダーしてくれ。サイズは知らん。

  2. 長渕剛の「とんぼ」を歌え
    疲れたら長渕剛の「とんぼ」を歌え。疲れの原因が何であろうと、全て東京のせいになる。そうだ、悪いのはこの大都会東京なのだ。カラオケルームでも良いが、弾き語りならばさらに良し。

  3. コンビニ弁当はセブンで買え
    弁当・おにぎりが最も美味いコンビニはセブンイレブンだ。今すぐnanacoを作るように。なおスイーツはミニストップ、ビールはローソンで賄うこと。

  4. ファンタグレープは缶で飲め
    缶、ビン、ペットボトルの味の違いが分かる漢になれ。そしてファンタグレープが一番美味しいのは間違いなく缶だ。旅館の自販機には必ずあるぞ。買え。

  

断言というより「親父の小言」みたいになってしまった。こういうどうでもいい偏見を集めて居酒屋に飾りたい。派生してVRだのPPAPだの最新の言葉をふんだんに使った「親父の小言2017」とかもいいな、とか考えてたら「親父の小言2014」を見つけた。インターネットは広いな。

 

omocoro.jp

アナログなデジタル

 すごく頭のわるい工作をしてみたい。

要らなくなったパソコンとか、ブレードサーバのブレードとか、とにかくハイテクなものを材料として使ってものすごくアナログなものを作るのだ。ハイテクなものを物理的にダウングレードさせるのだ。

 

例えばブレードで流しそうめん台を作るのはいかがだろうか。データの流れを制御していた彼らは、引退後そうめんの流れを制御するのだ。

犬小屋とかもいいと思う。金属むき出しの犬小屋、なんとなく住んでる犬もAIBO的なものを想像させそう。

 

そういうことしてる金持ちを探しています。見つけた方はこちらまで。 

ころころ

起承転結の「転」が大きい話は大好きだ。特に、世界観を変えてしまうような。話に段階があると言ってもいいだろう。最初のテーマで人を惹きつけつつ、それをベースにストーリーの主軸が変わるような話だ。こういった作品は具体例を挙げると往々にしてネタバレになってしまうのだが、今流行りの「君の名は。」であったり、ダンガンロンパなどがそれにあたる。考えてみれば前に書いた記事内の「本当に面白い(=好きな)記事」もそれだ。

 

だがこういう話を探すのはたいへん難しい。それこそネタバレ防止のため、あらすじには起承転結の起、すなわち最初のテーマしか提示されていないためだ。実際にそういった作品か確かめるには自分で触れてみるしかない。まあ、だからこそ転の面白みがあるわけだが。

 

もちろん最初のテーマ一本で勝負する作品にも大好きなものはある。要するに大事なのはどこで相手の心を打ち抜けるかなのかもしれない。そりゃそうだ。

ピラミッド図はすごい

ピラミッド図というものがある。項目をピラミッド状に積み立てた図のことだ。組織や階層を表す際よく使われるため、おそらく一度はどこかで目にしたことがあるのではなかろうか。

しかし待ってほしい。今思い浮かべているその図、一体何を表しているんだ。

 

ピラミッド図は自由の象徴

ピラミッド図が表すものは多種多様である。何を対象としているかはこの際どうでもいい。人の場合もあるだろうし、物や物事の場合もあるだろう。問題は「どういう基準で表しているか」なのだ。次からの例を見てもらいたい。

 

積み立て型

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まずは下が存在することをベースに上が存在するというパターンだ。この例では上の方が高次の欲求ということになるのだが、欲求間に良い悪いの上下関係は存在しない(たぶん)。下から順番に存在するということを強く意識させられるのがこの型だ。

 

ヒエラルキー

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今度は積み立て型とは違い、単純に上にいくほどえらいということを表している。頂点に立つなんて表現もあるように、一般的に一番上が一番えらいのは当たり前のことなのだ。その点において物事を非常に分かりやすく表現しているのがこの型である。たぶんピラミッド図で最も普及しているのがこのヒエラルキー型なんじゃないかと思う。

 

ヒエラルキー型 

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さあ厄介なことになってきた。こんどは上の方がえらくないのだ。ピラミッドの頂点は死の頂点である。びっくりするほど嬉しくない。

 ここまで3種のピラミッド図は順序を決めているということだけが共通しており、どのように示すかは作成者に一任されていた。すなわち、自由なのだ。真の自由はここにあったのだ。

 

サト・ピラミッド型

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何をどう表そうが自由、そこにいち早く目をつけた企業がある。「和食のさと」でおなじみのサトレストランシステムズだ。彼らは自らのグループ内のチェーン店における価格帯と店舗数をピラミッド図で表したのだ。ここまでくると何となく描いてあることは分かるものの、一体何を見せられているんだという気持ちになってくる。今までの例は上下どちらかに寄るほど上位のものであるという指向性に富んだものであったが、この図は分類の側面を色濃く表している。でもそれでいいのだ。ピラミッド図は自由なのだから。 

 

 

ピラミッド図の出現により、人々は自由を得た。つまりこれは、人々はピラミッド図を用いることで何でも自由に表現してよいということだ。さっそく思うがまま自由にピラミッド図を作っていきたい。

 

寿司ピラミッド

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以前から薄々感じていた、高そうな寿司屋は偉そう、という偏見もピラミッド図で表すことができる。単純に上の方が価格が高いということでもこの図は成り立つのだが、そういうことではないのだ。口には出しにくいことでもピラミッド図で自由に表現できる、そんなことを言いたいのだ。ピラミッド図はパワポで作れるラブレターなのだ。

 

遊ぶ場所

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素直に意見を言える、そういう意味では遊ぶ場所の提案もピラミッド図があれば簡単だ。お父さんに「休日はどこにいきたい?」と聞かれ、子供はさっそうとこの図を取り出す。これにより、まあ行きたくないとは言わないけどここそんなに楽しくなくない?みたいなところに連れていかれるリスクが減るわけだ。お父さんも子供のプレゼンから成長を感じ取れる。俗に言うWIN-WINというやつだ。

関係ないけどばかな事を図に起こすの、すごい楽しい。

 

amazonほしい物リスト

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amazonほしい物リストだってピラミッド図で作成できる。この図のいいところは欲しい順番が仕方なく決まってしまうところだ。今あるamazonほしい物リストでも商品ごとの優先度をつけることはできるが、それはあくまでオプションであり後から意図的に選択しなければならない。つまり、欲しいものを出しておいて順番をわざわざつけるといういやらしさが滲み出てしまうのだ。

しかし、ピラミッド図ならば順位を決めることが強制化するため、そんな心配はない。是非、これからはamazonほしい物リストをピラミッド図で表示してほしい。今こそ日本人の謙虚さを見せるときだ。僕は結構です。

 

  

このエントリを書くために初めてamazonほしい物リストについて調べたら、「リストを作成したら誕生日に山ほどプレゼントが届きました!みんなありがとう!」みたいなブログが出てきた。うらやましいな、そういう人生。

エンジニアはピザの夢を見るか?

エンジニアはピザを食う.インターン先で一番印象に残った言葉だ.

そしてtwitterをぼんやり眺めていると,ITエンジニアが勉強会でまさにピザを食べる写真がツイートされていた.そういえば自分自身も研究室でピザを食べた経験がある.なぜなんだ.なぜピザなんだ.

三日三晩悩む内,次のような結論に行き着いた.

  

多くの場合,エンジニアは一人で仕事をこなすことはない.

一つのソフトウェアを作成する場合でも,ソーシャルコーディングを実現する環境では複数人が一つの成果物を分業しながら作り上げる.

 

また多くの場合,ピザを一人で食すことはない。

一つのピザを食す場合でも,ソーシャルな食卓を実現する環境では複数人が一つのピザを分け合いながら食べ上げる.

 

要するに,マクロ的視点においてソフトウェアとピザは同義なのだ.

 

エンジニアはピザにソフトウェアのカタチを投影し,仲間達と共にこれを食す.これは,今から一つの大きなソフトウェアを作り上げる(=食べ上げる)ぞという意思表示の表れであり,そのための結束力を高める儀式なのである.現代版桃園の誓いと言ってもいい。我ら生まれた時は違えど,ソフトウェアを完成させる時は同じなのだ.

 

こういった理由によってエンジニアはピザを好んで食べている.

そういうことでひとつ,いかがでしょうか. 

投げっぱなしジャーマン

最近あまり余計なものを貪る時間がないのだが,次の2人が気になる。調べてみたい。

 

戸部実之

伊東アキラ

 

戸部さんは語学書ライターで、伊東アキラさんは作詞家だ。誰か、2人を調べておもしろ部分を濃縮して教えてくれないかなあ。

変化球のヤンデレ

あの人をバカにしていいのは自分だけだ。そう思っている節がある。

確かに自分はあの人をややバカにした視点から見ることがあるが、それは愛の一つのカタチであるのだ。バカにしつつもそれを含めて大好きなのだ。

だがどうだ、奴らは「バカにすることで笑いを取っている」。バカだけど好き、なのではない。バカにして笑っているのだ。これは同じバカにするという行為でも大変異なるものだ。大変遺憾だ。あの人をバカにして笑うことも許せないし、第三者からただバカにする奴らと自分が同一視されることも許しがたい。

 

 

こんな感情を照英やマック赤坂に対して抱いている。

だから彼らがロケに出たり取材をされてる時、基本的には嬉しいのだが、それを笑いものにするスタジオの人間がだいたい嫌いだ。

 

めんどくさいね。