私はロボットではない。
この世に生まれて早幾年、おかげさまで大きな病気もなく育ってきた。現在も母子ともに健康であり、息子の私は今年会社員となった。これまで生きてきた中で飛び上がるほど嬉しいことも、泣くほど悔しいこともあった。今更疑うことではない。紛うことなき人の生、人の道である。
しかしである。
間違えるのだ。CAPTCHAというやつを。
本日の宿敵です
CAPTCHAとは、ウェブページの会員登録などで度々現れる「私はロボットではありません」でおなじみの判別機構の事だ。ふよふよした数字を認識させたり、バスや標識などの画像を選ばせるアレはどうやら人間とロボットを区別しているらしい。すなわち、あれを判別できるのが人間で、判別できないのがロボットとのことだ。いやいや、待って欲しい。間違えるんですけど、自分。自分、CAPTCHAってやつ、間違えるんですけど!
特に画像を選択するやつが出た時など3回に2回はロボットである
人間の意志はどこから来ているのか。これは歴史上度々議論されてきた事柄である。だが議論するのが人間である限り、明確な答えを出すことはできないだろう。私はロボットなのか。それともロボットではないのか。これには客観的な判断が求められる。
今こそ白黒つける時。最終決戦だ。
ついに人間とロボットの境が明らかになります
ここでルール説明をさせていただく。今から私はロボット(機械)といくらかの勝負を行う。
私が勝てばロボットよりすごいということで、ロボットではない=人間であるということが明らかになり、私が負ければロボット以下ということでロボットである(しかも出来の悪いロボット)ということが明らかになる。もしかしたらこの論理はすでにおかしいかもしれないが、とにかくそういう事にしておいてほしい。要するに、私がロボットに勝てばいいのだ。勝ちたいのだ。
さあ、いざ尋常に勝負だ。鬼が出るか蛇が出るか、はたまたロボットが出るか。
第一回戦:計算対決
まずは簡単な計算対決だ。ランダムに出現する四則演算を私とロボットが同時に解き、どちらが先に答えを出すかという対決だ。一見明らかに勝てない勝負のように聞こえるかもしれないが、ドラマ「ガリレオ」の最終回では福山雅治が機械相手に似たような勝負を行い、勝利を収めている。つまり同じ人間(であるはずの)私にも勝機はあるはずだ。
ちなみにここまでロボットロボットと連呼してきたが、実際の対決はパソコンのプログラムやデータと行う。実際の「私はロボットではない」もペッパー君がパソコンの前でカチポチ打ち込んでいることを想定しているわけではないと思うので、これでいいのだと思う。
計算では全然勝てませんでした!
全く歯が立たなかった。自分の計算が遅いとかそういう話ではなく、私が問題を認識した時にはすでに答えが出ているのだ。えんぴつを取る暇もない。完全敗北だ。
瞬きする間もなく勝敗が決する
また、上の画像で気付いた方もいるかもしれないが、そもそも問題自体も私が解けるレベルまでやさしくしている。ロボットはその気になれば私が何回手計算しても答えが合わないようなややこしい計算すら一瞬でできてしまう。初めから勝ち目はなかったのだ。これに打ち勝つ福山雅治は一体何者なんだという話である。
第二回戦:CAPTCHA読み取り対決
続いての対決は問題のCAPTCHA読み取り勝負だ。聞くところによると最近のロボットの発達はめざましく、ふよふよした数字の判別に至っては正解率が約7割まで達した例もあるらしい。であれば私はその正解率を越えねばならない。ネットの海を漂っているとCAPTCHAのデモサイトがあったので、繰り返しリロードして、ふよふよした数字を25個ほど集めておいた。1問4点の100点満点、合格点は70点。時間無制限の一本勝負。テストの時間だ。
人間らしく紙で解いてみた(正解を確かめるためにはこの後回答をパソコンに打ち込まねばならず、まったくの無駄だった)
ふよふよした数字のたちの悪いところは時々文字と文字が重なって出てくるところだ。そうなるともう判断がつかないので、解答を諦める、いわゆる「捨て問」となる。どんなテストでも解けるところから解くのは鉄則である。学生時代を思い出すなあと思ったが、よく考えたらこんな認識力テストのようなものは受けた記憶がなかった。
例えばこれは冒頭の文字が重なっている。1nなの?1hなの??当てずっぽうの世界である
さらに言えば小文字の「x」と大文字の「X」、「o」と「O」と「0」など、大きさや字体がばらばらなCAPTCHAにおいて判別が不可能な文字は結構頻出する。やっているうちにどんどん自信がなくなってくるが、答え合わせをすると意外と合っていたりもする。人間ってふしぎ。
そんなこんなで採点結果です!
結果は80点*1。ロボットとの差は問題数にして約2問であり、僅差ながら私が勝つ結果となった。だが勝ちは勝ちである。これで1勝1敗、次の勝負でもって決着をつけようではないか。
しかし、こうなると気がかりなのは勝ち方である。次もこのくらい拮抗した状態での勝利であったらどうだろうか。勝ちは勝ちだが、読者諸兄から「ロボットと拮抗しているということは結局ロボットなのでは?」と言われるに違いない。自分だったら言う。引用ツイートで鬼の首を取ったように言う。そして私のメンタルは常に絹ごし豆腐一歩手前なので、そのようなツイートを見てしまったが最後悔しさのあまり地団駄を踏んだのちにこのエントリを削除してしまう事だろう。
ならば次の勝負は勝とうが負けようがロボットとの差がはっきりするものでなければならない。また、データではなく、目の前のロボットと戦いたいところだ。やはり漢は直接対決なのだ。もし直接対決でもってロボットを制することが出来れば、その漢らしさに影響された読者諸兄も意見は引用ツイートではなくリプライで直接述べてくる事に違いない。それはそれでメンタルに響くのでやめてほしいけど。
さて、何で勝負するのがよいのだろうか。
私はロボットではない。
この世に生まれて早幾年、おかげさまで大きな病気もなく育ってきた。現在も母子ともに健康であり、息子は今年会社員になった。飛び上がるほど嬉しいことも、泣くほど悔しいこともあった。
人間とロボットの大きな違いの一つに、感情というものがある。人間は感情に生きる生物である。自らが怒り、笑い、泣き、そして他者の感情を知覚する。しかし、ロボットには感情がない。インプットされている命令を淡々とこなすのみである。また、人間は母より生まれてくるが、ロボットは人の手により造られる。これも大きな違いだ。
つまり「母親」と「感情」の組み合わせは人間とロボットの違いをより浮き彫りにするはずである。これだ。この組み合わせでもってロボットにぎゃふんと言わせてやる。
第三回戦:母親の説教聞き取り対決
説教というものがある。Wikipediaによると教えを人々に説き聞かせること、転じて堅苦しい教訓や忠告を指すらしい。しかし、母の説教というものにいたっては2種類存在する。すなわち、相手のためを思って行う愛のある説教と、自分がただ怒りたいからとストレス発散のように行う愛のない説教だ。皆様にもやたら理不尽な理由や内容で怒られた経験があるのではないだろうか。人間ならば、ロボットではないならば、この微妙な感情の差異を声色から判別できるはずなのだ。ましてや母親の説教ならば。
対決にあたっては母に架空の愛のある説教とない説教を合計30個ほど考えてきてもらった。この説教を私とロボットが聴き、どちらがより正しく各説教を愛があるかどうか判別できるか勝負するというわけだ。ロボットの判別機構の実装には今はやりの機械学習とかいうやつを組み込んだ。平たく言えば人工知能、AIということになるかもしれない。このAIの使い方、私がロボットだったら憤慨のあまり人類に対して反乱を企てると思う。
説教を受ける私とロボット(パソコン)
判別するためには実際に説教を受けなければならない。思えば大学に入学した頃あたりから私の口も達者になり、母の説教を甘んじて受け止めることもなくなっていた。まさに久しぶりの説教である。そう考えると少しは感慨深いものだ。
そんなおセンチな事を考えて気持ちをごまかしていたが、聞いているうちにだんだん気分が悪くなってきた。なるほど、これが母親の説教の力か。自分のことを言われているわけでもないのにどんどん冷や汗が出てくる。ロボットならばこんなにつらい気持ちにならないんじゃないのか。おい、どうなんだ。
微動だにしないパソコン
パソコンは顔色ひとつ変えない。対して私はだんだんと顔が青くなってきた。「どうやら母に怒られているらしい」、これだけで人はここまで暗い気持ちになれるのだ。この時点で私が人間なのかロボットなのか決まったようなものだ。
しかしよく食べ物に「ありがとう」の声をかけ続けると美味しくなるだのならないだのといった話があるが、このパソコンは謂れのない説教を受けている。きっと少しばかり酸っぱくなっていることだろう。
少しだけ排気音がした。親に向かってその態度はなんだ。
説教をたっぷり受け終わったところで、フレーズごとの判別に入る。一球入魂の作業である。
私は手動で、ロボットは先の時点で録音していた音声を元に機械的な判別を行う。なお、下の表は母が考えてきた説教の一部である。せっかくなので皆さんも一緒に愛がある説教かどうか考えてみて欲しい。
説教例。架空の説教でいいよと伝えたのにわりと身に覚えのある言葉が並んだ
手動で説教を判別する私(先の反省を活かしエクセルを使った)
何やらすごい計算で判別するロボット
二つの判別が終わったところで運命の答え合わせだ。ちなみに私は判別するのに10分くらいかかったのに対し、ロボットは1秒と経たずに答えをはじき出した。せっかく母が考えてきてくれた説教を1秒で処理するとは、やはり人の心がないな。
さて、その結果はいかに。
上:私の正解率 下: ロボットの正解率
勝った。今再びの勝利、それも第二回戦よりも大差をつけての勝利である。やはりロボットには母の繊細微妙な感情が読み取れなかったとみえる。かくいう私もそこそこ間違っていたのだが、親の心子知らずとも言うので多少は大目にみてほしい。
ともかくここに勝負は決した。2勝1敗。私はロボットではないのだ。
先ほどの答え。みなさまは判別できただろうか。
ただまあ、技術力もあったものじゃない私の事である。きっとこのロボットは完璧ではないのだろう。もしこれを読んでいる方で母の説教を判別できるような、より高性能な機械を作れる方がいれば私に連絡してほしい。その時は万全の体制でその機械と戦い、そして私が人間であることを改めて証明したいと思う。
さらに言えば、この三本勝負だけでロボットではないと言い切っていいのかという問題も存在する。もっと様々な方法で、対決でもってロボットに打ち勝たなければ人間であることの完全な証明にはならないのではないか。例えば相撲とかで。
私は戦い続けたい。人間であることが完全に証明できるその日まで。
私とロボットの戦いはこれからも続きます