ぼんやり参謀

好きな事について書いたり、薬にも毒にもならないことを考えたりします。

俺もご自宅を秘蔵公開したい

この間テレビを観ていたところ、名前は忘れてしまったがどなたかの俳優が「自分には芸がないので、バラエティに出るとなると私生活を切り売りしなくてはならない」と言っていた。バラエティでよく見る『ご自宅を秘蔵公開!』というやつなどの事だろう。確かに、切り売りである。

 

 

 

 

 

何か文章を書くためには書く元となる行動が必要だ。それは旅行であったり、ちょっと良いランチであったり、工作であったり、突飛な行動であったりする。もちろん元々やりたかった事があってそれをやった結果、文章として残すというゴールに至ったのならば、それはよいことだ。しかし、文章を書こうとして何か行動を考え始めたら。それも切り売りである。自分の時間や労力の切り売りだ。

 

 

やりたい事のない人間は、趣味のない人間は、主張のない人間は、常に思考を切り売りして行動を起こさねばならない。果たしてそこまでして文章を書く必要があるのだろうか。本当に好きな物は、やりたい事は、何なのだろうか。

 

 

このインターネット大投稿時代、文章に限らずそういう状態になってる人、多そうだな。ううーん、わかるわかる。とてもわかる。みんなで一回ロストテクノロジーしてみよっか。

犬を喰らえ

犬である。

 

犬を食べることへの反応は国々によって様々である。ある国は昔からの文化として食べることを是とし、ある国では外道なものとして忌み嫌われている。宗教的に禁止しているところもあるらしい。

 

だが、そんな犬食を私は行う。

なんというか、こう、そばの形で。

 

 

 

 

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盛岡駅にやってきた

 

ということで知人と共に盛岡駅にやって来たのだが、とても寒い。具体的には最高気温が6℃くらいの寒さだ。寒すぎるからか、駅周辺に犬は見当たらなかった。おかしい、ここの住人は大量の犬を食べると聞いたのだが。

 

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カモさんなら池に沢山いた。鴨鍋でもいいな……

 

とはいえ、一応下調べは済ませてある。調理済みの犬を食べさせてくれる店が駅前にある事は分かっているのだ。さあさあ、食らってみせようではないか。

 

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そこに(犬が)いる事は分かってるんだぞ!大人しく出てこい!

 

店に入ると「犬か、犬でないか」を聞かれた。どうやら店側の配慮というものがあるらしく、犬を食べる民と食べない民はそれぞれ別の席に案内されるらしい。フィッシュオアビーフならぬ、ドッグオアノットドッグだ。もちろんドッグだ。ドッグプリーズ、である。

 

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妙な緊張感が我々を襲う

 

席に着くやいなや胃が痛くなってきた。我々以外にも犬を食べに来たお客さんはいくらかいたのだが、皆一様に緊張の面持ちである。そりゃそうだ、今から食べた事もない量の犬を食べるのだ。覚悟を決めねばならぬ。

 

待っているとお店の方からルール説明があった。要約すると、こちらがギブアップというまで延々と犬が運ばれてくるという事らしい。単純かつ明快。向こう千年経っても残っていそうなルールである。そしてどうやら100匹を越えると記念品がもらえるらしい事がわかった。目指せ101匹わんちゃんということか……

さあ、いざ尋常に勝負だ。

 

 

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勝負直前の貴重な写真。このあと写真は少なくなります

 

食べる。注がれる。食べる。注がれる。食べる。食べる。注がれる。

勢いがすごい。15匹で1ロットとなっており、一卓で1ロット食べ終わるまでお姉さんがそばですぐにおかわりを注がんと待ち構えている。ゆっくりと食べてなどいられない。そういう圧があるのだ。

 

同行した知人は経験者であり、曰くこの乱打戦を攻略するには次の三つが重要であるという。

曰く、姿勢を良くすること。

曰く、卓に並ぶ鮪の刺身など、その他の食べ物には手を出さないこと。

曰く、噛まずに飲むこと。

いずれも「より短時間に多くの犬を詰め込む」ためのコツである。急に普通のお役立ち情報でびっくりされた方もいるかもしれないが、それくらい真剣なのだ。やらねばやられる。そういう世界なのだ。

 

しかし、噛まずに飲むとは少々無茶ではないのか。幼き頃より物はよく噛んで食べろと教わってきた育ちの良い私には厳しいものがある。知人が言うには前回来た時は大酒飲みが大勝したという。びっくり人間コンテストじゃないんだぞ。

 

また、地味に辛いのは1匹1匹の個体差がだいぶ大きい事である。一口にも満たないものが来たかと思えば、その2倍近くの量が入っていることもある。そして次を注がんとするお姉さん。決してこちらのペースでは進ませてくれないのだ。ちなみにここに来て急に写真がなくなったのは、もちろんこの間必死に犬をかきこんでいたからである。写真を撮る暇なんかないのだ。この一瞬一瞬にも満腹中枢は脳内の命令系を支配しにかかっているのだ。

 

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写真がないのでいらすとやさんに頼ります

 

序盤はとにかく遮二無二食べていたが、60匹目から少し違和感を感じ始め、75匹目あたりから厳しくなってきた。15匹で1人前相当らしいので、このあたりで5人前ということになる。

厳しいとは、決してお腹が一杯ということではない。喉を通らないということだ。知人は山葵を溶かし始めた。私は山葵を直に食べ出した。味を変えないと、もう飲み込めない。

 

 

80匹を過ぎてから「あっ、気を抜くと全部出るな」という最悪な予感が脳裏によぎり始めた。1匹を食べる時間も格段に遅くなった。ここではないどこかを見つめていると、お姉さんが「出してしまうと記録はつきませんので、ご無理はなさらないように」と言った。やめて、大丈夫だから。出さないから。あと、無理、もうしてるから。70匹くらいから。

 

知人はこの辺りで落ちた。前回は100匹を越えたとのことであったが、今日は二日酔いなのでここまでと言った。いや、二日酔いだったのか。聞いてないぞ。むしろ二日酔いでここまで食べた君の胃袋と精神力を私は讃えたい。

 

 

知人が落ちるとお姉さんのターゲットは私一人になった。15匹食べるまではその場を去ってくれず、圧は増すばかりだ。私は「皆さんどれくらい食べられるんですかね」などと話しかけ、お姉さんの圧を解きつつ自分の胃袋を休ませる作戦に出たが、いいからさっさと食べろという空気に包まれた気がしたのでやめた。そうこうしてるうちに話しかけることもできなくなった。これ以上言葉を発すると、出る。

 

 

 

すいません、ごちそう様です。

 

 

 

私の挑戦はここで終わった。

挑戦終了後、デザートが振る舞われた時はうっかり悪意すら感じてしまったが、こちらが勝手に沢山食べただけなので怒るのはお門違いであった。食べてみると美味しかった。違う食べ物であることが何より嬉しかった。

 

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記念写真を撮ってくれたのは嬉しかったが、少しでも動くと出そうだったのでポーズを取るのも必死であった

 

 

食べ物をお腹一杯に食べられることは良いことだ。地元に戻ってからも頑張って働いて、また美味しいものを食べよう。そんな気分になれた、終わってみれば清々しい時間であった気がする。また来よう、盛岡。

 

まあ、蕎麦は当分、いいけど。

 

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記録は90杯でした!

音楽はよい【アドベントカレンダー2日目】

音楽はよい。

聴いても歌っても踊っても弾いても楽しめるんだもの。何をしても楽しめる。食べ物でいうところのカレーである。

 

先日複数のバンドが2箇所のライブハウスで順番にライブをするイベントを観に行ってきたが、それも大変良かった。ちなみにそういう複数箇所のライブハウスを行ったり来たりしながらライブを観る形式をサーキットイベントというらしい。一つ賢くなった。

 

timetable

 

このイベントは2日行われ、総勢十数組のバンドが演奏したのだが、正直なところ自分はそのうち3組しか知らなかった。せっかくなので他のバンドも聴いてみようか、くらいのスタンスだった。各バンドの代表曲すら予習もしなかった。

それは大きな間違いだった。

 

 

 

凄かったのだ。

 

迫力が、思いが、伝わってくるのだ。汗にまみれながら、全力で、心の底から絞り出されるのだ。気付けばうっかり早くも2組目のバンドで号泣してしまった。だめだよ、それは。他人が頑張ってる姿で泣いちゃったらもうおじさんだよ。

 

今まで知らないバンドの演奏はあまり聴いたことがなかった。お気に召しのバンドが2マンをするとなっても「知らないバンドが演奏するんだったらいいや」と避けていたのだ。間違いだった。大いに恥じた。なんと見識の狭いことか。

 

さらに言えば、特にライブである。

2日目は各バンドの曲を一通り聴いてから参戦したのだが、それもほとんど意味のないことだった。演奏が全然違うのだ。伝わる思いが全然違うのだ。2日目で唯一知っていたバンドはどちらかというと繊細な印象だったのだが、実際の演奏のあまりの力強さにひっくり返った。直接聴かないとそのバンドのこと何もわからないじゃん。これが結論である。

 

 

音楽はよい。特にライブはよい。そのバンドの気持ちが直接伝わってくる。それは嬉しいことだし、楽しいことであり、感動して泣くに値することである。

 

みなさまは日頃、面白いことや楽しいことはあるだろうが、泣くほど感情を揺さぶられたことがあるだろうか。無いならばライブに行ってくれ。情熱がほとばしるライブに。

 

 

 

 

 

 

 

2日間駆け抜けた中で(自分は聴いていただけだが)最も光り輝き天才だと思ったバンド「セプテンバーミー」が年内で活動休止だという。あってはいけない事だ。

セプテンバーミー「プラスティックワールド 」MV - YouTube

アドベントカレンダーに想いを馳せて

アドベントカレンダー

12月1日から24日まで、毎日カレンダー内に内包されたお菓子を取り出し食べる行事。日本の子供がこぞってやっているイメージはあまりないが、海外ではベーシックなものなのだろう。

 

 

エンジニアはそんなアドベントカレンダーが大好きである。12月になるとアドベントカレンダーだ!と言い技術的な知見を毎日ブログに書き込む。すごい。すごいけど、暇なのか。エンジニア、ひょっとして、クリスマス、暇なのか?

 

そんなアドベントカレンダーを私もやってみようと思う。エンジニアだから。暇だから。「エンジニアのすなるアドベントカレンダーといふものを我もかいてみんとてするなり」だ。

 

ただ、この場で技術的な事をつらつら書くのは些か場にそぐわないし毎日書くほどの技術力が私にはない。よって好きな事を好きなように書かせてもらおうと思う。要するに、毎日どんなことでもいいからブログを書こうという算段だ。

 

もしかしたら書く事が無くなって、途中から「〇〇って誰?性格は?彼氏はいるの?」というタイトルのエントリを乱造するかもしれない。その時は止めて欲しい。できれば後ろから両腕を組み伏せる形で止めて欲しい。あれ書くの、密かに憧れてるんだ。

 

いざ尋常に勝負。

ヴィブラスラップと暮らす、新しい生活

嗚呼、ヴィブラスラップ

 

ヴィブラスラップとは、時代劇やバラエティ番組で時折流れる「カーーッ!」の音を出す楽器である。

 

別に何か理由があるわけではない。思い出があるわけではない。だけど、いいじゃないか、そういう楽器。あの「カーーッ!」の為だけにあるんだ。すごいじゃないか。欲しいじゃないか。

 

本日はこのヴィブラスラップを買いに行く話である。ちゃんとした文章でもなんでもなく、これはただの日記である。申し訳ない。いや、申し訳なくない。自分のブログに自分の日記を載せて何が悪いんだ。ブログなんて元々エゴの塊なんだ。一つくらい増えたって殊更文句を言うことでもないだろう。特にヤマもなければオチもなく、ついでにイミもない話であるが良ければ流し読みしてほしい。

 

 

さて、問題は一つ、たった一つである。

ヴィブラスラップはどこに売っているのかという話だ。

 

もちろんAmazonだとか楽天だとかで入手できることは知っている。だけど、欲しいものを買うってそういう事じゃないだろう。自分の足で探して、やっとことので見つけて買うのが楽しいんじゃあないか。その体験込みで楽しみたいのだ。帰りの電車で開けて鳴らしたくてうずうずしたいのだ。まあなんだかんだ自分も大人なので鳴らしはしない。開けるくらいはするかもしれないけど。

 

自分の足で探すとはいえ、流石に楽器店がどこにあるかくらいは探さなくては話にならない。調べてみるとヴィブラスラップがありそうな楽器店はいくらか見つかった。秋葉原と大阪のどちらかだ。よし、秋葉原だ。

 

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秋葉原のドラム専門店に向かった

 

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あった

 

あった。全然あった。

タンバリンだのなんだののよくある打楽器の横に平然とあった。剥き身であった。全然やっとのことで見つけるまでもなかった。でもいいの、あるならいいの、嬉しいから!!それでいいの!!しかもLP208とLP209の両方あるじゃん!!!店員さん、音が高い方、LP208を一つください!!!!

 

 

 

これから俺はヴィブラスラップと生きていく。

長い人生である。この先今まで経験した事のないような辛いことも、楽しいこともあるだろう。きっと色々な人との出会いや別れも待っているのだろう。でも俺の側にはヴィブラスラップがいる。ヴィブラスラップは俺をいつでも見守ってくれるんだ。

 

 

 

 

私はロボットではない

私はロボットではない。

この世に生まれて早幾年、おかげさまで大きな病気もなく育ってきた。現在も母子ともに健康であり、息子の私は今年会社員となった。これまで生きてきた中で飛び上がるほど嬉しいことも、泣くほど悔しいこともあった。今更疑うことではない。紛うことなき人の生、人の道である。

 

しかしである。

間違えるのだ。CAPTCHAというやつを。

 

本日の宿敵です

 

CAPTCHAとは、ウェブページの会員登録などで度々現れる「私はロボットではありません」でおなじみの判別機構の事だ。ふよふよした数字を認識させたり、バスや標識などの画像を選ばせるアレはどうやら人間とロボットを区別しているらしい。すなわち、あれを判別できるのが人間で、判別できないのがロボットとのことだ。いやいや、待って欲しい。間違えるんですけど、自分。自分、CAPTCHAってやつ、間違えるんですけど!

 

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特に画像を選択するやつが出た時など3回に2回はロボットである

 

 

人間の意志はどこから来ているのか。これは歴史上度々議論されてきた事柄である。だが議論するのが人間である限り、明確な答えを出すことはできないだろう。私はロボットなのか。それともロボットではないのか。これには客観的な判断が求められる。

今こそ白黒つける時。最終決戦だ。

 

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ついに人間とロボットの境が明らかになります

 

ここでルール説明をさせていただく。今から私はロボット(機械)といくらかの勝負を行う。

私が勝てばロボットよりすごいということで、ロボットではない=人間であるということが明らかになり、私が負ければロボット以下ということでロボットである(しかも出来の悪いロボット)ということが明らかになる。もしかしたらこの論理はすでにおかしいかもしれないが、とにかくそういう事にしておいてほしい。要するに、私がロボットに勝てばいいのだ。勝ちたいのだ。

さあ、いざ尋常に勝負だ。鬼が出るか蛇が出るか、はたまたロボットが出るか。

 

第一回戦:計算対決

まずは簡単な計算対決だ。ランダムに出現する四則演算を私とロボットが同時に解き、どちらが先に答えを出すかという対決だ。一見明らかに勝てない勝負のように聞こえるかもしれないが、ドラマ「ガリレオ」の最終回では福山雅治が機械相手に似たような勝負を行い、勝利を収めている。つまり同じ人間(であるはずの)私にも勝機はあるはずだ。

ちなみにここまでロボットロボットと連呼してきたが、実際の対決はパソコンのプログラムやデータと行う。実際の「私はロボットではない」もペッパー君がパソコンの前でカチポチ打ち込んでいることを想定しているわけではないと思うので、これでいいのだと思う。

 

 

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計算では全然勝てませんでした!

 

全く歯が立たなかった。自分の計算が遅いとかそういう話ではなく、私が問題を認識した時にはすでに答えが出ているのだ。えんぴつを取る暇もない。完全敗北だ。

 

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瞬きする間もなく勝敗が決する

 

また、上の画像で気付いた方もいるかもしれないが、そもそも問題自体も私が解けるレベルまでやさしくしている。ロボットはその気になれば私が何回手計算しても答えが合わないようなややこしい計算すら一瞬でできてしまう。初めから勝ち目はなかったのだ。これに打ち勝つ福山雅治は一体何者なんだという話である。

 

第二回戦:CAPTCHA読み取り対決

続いての対決は問題のCAPTCHA読み取り勝負だ。聞くところによると最近のロボットの発達はめざましく、ふよふよした数字の判別に至っては正解率が約7割まで達した例もあるらしい。であれば私はその正解率を越えねばならない。ネットの海を漂っているとCAPTCHAのデモサイトがあったので、繰り返しリロードして、ふよふよした数字を25個ほど集めておいた。1問4点の100点満点、合格点は70点。時間無制限の一本勝負。テストの時間だ。

 

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人間らしく紙で解いてみた(正解を確かめるためにはこの後回答をパソコンに打ち込まねばならず、まったくの無駄だった)

 

ふよふよした数字のたちの悪いところは時々文字と文字が重なって出てくるところだ。そうなるともう判断がつかないので、解答を諦める、いわゆる「捨て問」となる。どんなテストでも解けるところから解くのは鉄則である。学生時代を思い出すなあと思ったが、よく考えたらこんな認識力テストのようなものは受けた記憶がなかった。

 

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例えばこれは冒頭の文字が重なっている。1nなの?1hなの??当てずっぽうの世界である

 

さらに言えば小文字の「x」と大文字の「X」、「o」と「O」と「0」など、大きさや字体がばらばらなCAPTCHAにおいて判別が不可能な文字は結構頻出する。やっているうちにどんどん自信がなくなってくるが、答え合わせをすると意外と合っていたりもする。人間ってふしぎ。

 

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そんなこんなで採点結果です!

 

結果は80点*1。ロボットとの差は問題数にして約2問であり、僅差ながら私が勝つ結果となった。だが勝ちは勝ちである。これで1勝1敗、次の勝負でもって決着をつけようではないか。

 

しかし、こうなると気がかりなのは勝ち方である。次もこのくらい拮抗した状態での勝利であったらどうだろうか。勝ちは勝ちだが、読者諸兄から「ロボットと拮抗しているということは結局ロボットなのでは?」と言われるに違いない。自分だったら言う。引用ツイートで鬼の首を取ったように言う。そして私のメンタルは常に絹ごし豆腐一歩手前なので、そのようなツイートを見てしまったが最後悔しさのあまり地団駄を踏んだのちにこのエントリを削除してしまう事だろう。

 ならば次の勝負は勝とうが負けようがロボットとの差がはっきりするものでなければならない。また、データではなく、目の前のロボットと戦いたいところだ。やはり漢は直接対決なのだ。もし直接対決でもってロボットを制することが出来れば、その漢らしさに影響された読者諸兄も意見は引用ツイートではなくリプライで直接述べてくる事に違いない。それはそれでメンタルに響くのでやめてほしいけど。

 

さて、何で勝負するのがよいのだろうか。

 

 

 

 

私はロボットではない。

この世に生まれて早幾年、おかげさまで大きな病気もなく育ってきた。現在も母子ともに健康であり、息子は今年会社員になった。飛び上がるほど嬉しいことも、泣くほど悔しいこともあった。

 

人間とロボットの大きな違いの一つに、感情というものがある。人間は感情に生きる生物である。自らが怒り、笑い、泣き、そして他者の感情を知覚する。しかし、ロボットには感情がない。インプットされている命令を淡々とこなすのみである。また、人間は母より生まれてくるが、ロボットは人の手により造られる。これも大きな違いだ。

つまり「母親」と「感情」の組み合わせは人間とロボットの違いをより浮き彫りにするはずである。これだ。この組み合わせでもってロボットにぎゃふんと言わせてやる。

 

第三回戦:母親の説教聞き取り対決

説教というものがある。Wikipediaによると教えを人々に説き聞かせること、転じて堅苦しい教訓や忠告を指すらしい。しかし、母の説教というものにいたっては2種類存在する。すなわち、相手のためを思って行う愛のある説教と、自分がただ怒りたいからとストレス発散のように行う愛のない説教だ。皆様にもやたら理不尽な理由や内容で怒られた経験があるのではないだろうか。人間ならば、ロボットではないならば、この微妙な感情の差異を声色から判別できるはずなのだ。ましてや母親の説教ならば。

対決にあたっては母に架空の愛のある説教とない説教を合計30個ほど考えてきてもらった。この説教を私とロボットが聴き、どちらがより正しく各説教を愛があるかどうか判別できるか勝負するというわけだ。ロボットの判別機構の実装には今はやりの機械学習とかいうやつを組み込んだ。平たく言えば人工知能、AIということになるかもしれない。このAIの使い方、私がロボットだったら憤慨のあまり人類に対して反乱を企てると思う。

 

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説教を受ける私とロボット(パソコン)

 

判別するためには実際に説教を受けなければならない。思えば大学に入学した頃あたりから私の口も達者になり、母の説教を甘んじて受け止めることもなくなっていた。まさに久しぶりの説教である。そう考えると少しは感慨深いものだ。

そんなおセンチな事を考えて気持ちをごまかしていたが、聞いているうちにだんだん気分が悪くなってきた。なるほど、これが母親の説教の力か。自分のことを言われているわけでもないのにどんどん冷や汗が出てくる。ロボットならばこんなにつらい気持ちにならないんじゃないのか。おい、どうなんだ。

 

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微動だにしないパソコン

 

パソコンは顔色ひとつ変えない。対して私はだんだんと顔が青くなってきた。「どうやら母に怒られているらしい」、これだけで人はここまで暗い気持ちになれるのだ。この時点で私が人間なのかロボットなのか決まったようなものだ。

しかしよく食べ物に「ありがとう」の声をかけ続けると美味しくなるだのならないだのといった話があるが、このパソコンは謂れのない説教を受けている。きっと少しばかり酸っぱくなっていることだろう。

 

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少しだけ排気音がした。親に向かってその態度はなんだ。

 

説教をたっぷり受け終わったところで、フレーズごとの判別に入る。一球入魂の作業である。

私は手動で、ロボットは先の時点で録音していた音声を元に機械的な判別を行う。なお、下の表は母が考えてきた説教の一部である。せっかくなので皆さんも一緒に愛がある説教かどうか考えてみて欲しい。

 

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説教例。架空の説教でいいよと伝えたのにわりと身に覚えのある言葉が並んだ

 

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手動で説教を判別する私(先の反省を活かしエクセルを使った)

 

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何やらすごい計算で判別するロボット

 

二つの判別が終わったところで運命の答え合わせだ。ちなみに私は判別するのに10分くらいかかったのに対し、ロボットは1秒と経たずに答えをはじき出した。せっかく母が考えてきてくれた説教を1秒で処理するとは、やはり人の心がないな。

さて、その結果はいかに。

 

 

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上:私の正解率  下: ロボットの正解率

 

勝った。今再びの勝利、それも第二回戦よりも大差をつけての勝利である。やはりロボットには母の繊細微妙な感情が読み取れなかったとみえる。かくいう私もそこそこ間違っていたのだが、親の心子知らずとも言うので多少は大目にみてほしい。

ともかくここに勝負は決した。2勝1敗。私はロボットではないのだ。

 

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先ほどの答え。みなさまは判別できただろうか。

 

ただまあ、技術力もあったものじゃない私の事である。きっとこのロボットは完璧ではないのだろう。もしこれを読んでいる方で母の説教を判別できるような、より高性能な機械を作れる方がいれば私に連絡してほしい。その時は万全の体制でその機械と戦い、そして私が人間であることを改めて証明したいと思う。

さらに言えば、この三本勝負だけでロボットではないと言い切っていいのかという問題も存在する。もっと様々な方法で、対決でもってロボットに打ち勝たなければ人間であることの完全な証明にはならないのではないか。例えば相撲とかで。

 

私は戦い続けたい。人間であることが完全に証明できるその日まで。

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私とロボットの戦いはこれからも続きます

*1:写真と点数が違うではないかと思った読者諸兄、その慧眼には脱帽するばかりだ。25問中20問正解だから3/4正解、つまり得点は75点!と大はしゃぎで答案用紙に書き込んだ私の責任である。私が人間なのかロボットなのかはさておきポンコツであることはここに証明された。

俺こそがさんま焼き師だ

世の中には2種類の人間がいる。さんまを焼く人間と、焼かない人間だ。

これは1人の男がさんまを「焼かない」側から「焼く」側へと成長した物語である。具体的には、私がさんま焼き師認定試験という資格試験に合格した話だ。

 

7月14日のことである。

私ともう1人の男は岩手県大船渡市に向かうべく深夜バスに乗っていた。何故か。さんまを焼くためである。聞けば7月14日・15日の2日間を通して大船渡市ではさんま焼き師認定試験なるものが開催されるという。行くしかないのだ。しかも今年は第3回目らしい。もう乗り遅れているといっても過言ではないのだ。

 

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直通の深夜バスが満員だったので仙台駅を経由した。この事からも全国からさんま焼き師志望者が集結していることがよく分かる。

 

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大船渡市に到着。駅がとてものどか。

 

大船渡市は震災の影響を受けた都市だ。街には薬局や本屋、スーパーなどが広めの土地に点在しており、7年経った今も復興の最中であることを感じさせた。さんま焼き師認定試験も観光協会が主催しているため、きっと町おこしの一環なのだろう。よっしゃ、お兄さんじゃんじゃんお金落としてっちゃうぞ。

 

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街の景色。風が気持ちいい。

 

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さっそく贅沢した。うまい。

 

さて、さんま焼き師認定試験は前述の通り7月14日と7月15日の2日間をかけて行われる。14日に実技講習を、15日に筆記講習および筆記試験を行う段取りだ。14日の実技講習は昼過ぎからであったため、近場の神社などをうろうろしてから向かうことにした。

 

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近場の神社。写真の先にも階段が続いていて登りながら大変後悔した

 

神社をうろうろしていると相方がぽつりと「今日どんな人達が参加するんだろうな」と言った。

 

 

確かに。

 

 

考えてみれば我々はどのような人達がこの認定試験に集うのかを知らない。どのようなレベルの講習が、試験が行われるのかを知らない。なにせ「さんま焼き師認定試験」という言葉の響きだけでやって来てしまったのだ。知っていることといえば受験要綱に書いてあった、2日間で行われることと特製テキストが配られることだけだ。もしかしたら料理人だとか、漁師だとか、その手の本職の人達が集う会合の可能性もある。そんな事を考え出したら急に不安になってきた。大丈夫なのか、おい。こっちは学生くずれが2人だぞ。

 

だが引き返すにはもう遅い。我々はすでに大船渡の大地を踏みしめてしまっている。そして時間も差し迫っている。集合場所に向かうしかないのだ。たとえ本職の怒りに触れ海に投げ出される事になろうとも。

 

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おっかなびっくりしながら集合場所に移動。

 

到着後すぐに周りの人の様子を伺ったが、とりあえずいきなり海に投げ込むような怖い人はいなさそうだ。皆にこにこしているし。よかった。

 

参加者は30代〜40代が多めで、男性中心といったところだろうか。やはり我々の新参者感は拭えないものの、思ったよりも優しい雰囲気の方々が多いようだ。テレビの取材も来ていたので、これでいきなり海に投げ込まれる確率はゼロになった。

 

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なんとなく手持ちぶさたな感じで待機する参加者一同

 

受付を済ませると、「こちら二日間のテキストです」と大きめな封筒をもらった。そうだ、特製テキストが配布されるのだった。さんま焼き師のテキスト。もはやこれが欲しくてやって来たと言っても過言ではないのだ。

 

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これがさんま焼き師認定試験のテキストだ!

 

Office製感がぷんぷんする。まごうことなき手作りだ。最高だ、最高だよ。俺の夏は今始まったんだ。

 

我々がテキストに大興奮しているうちに受験者が全員集まったらしく、場所を移動して実技の講習が始まった。ちなみに今年の受験者は約100人だという。強い意志を胸に抱いた100人だ。

 

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世界で1人(と言っていた)の師範代の教えを聞く

 

師範代曰くさんま焼きは準備が8割らしい。必要物を揃え、火を起こし、炭を熱して場を整える。ここまでがさんま焼きの肝であり、時間のかかるところであるとのことだった。なるほど、勉強になる。そして準備物は観光協会に全て用意してもらっているため、我々は到着しただけでさんま焼きの5割を終えていることになる。なんたることか。

 

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早速チームに分かれて実践

 

炭を組んで着火するところまではおおよそBBQと同じ段取りだったので油断していたのだが、とにかく炭に火が燃え移らない。考えてみれば薪を燃やしたことはあれど炭を燃やしたことはなかった。炭ってこんなに燃えにくいものだったのか。これは確かに時間がかかるぞ。

 

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必殺技と言ってさんまが入っていた箱のフタであおぎ始める先生

 

先生の助けもあり、どうにかこうにか炭に火をつけることが出来た。それ来た、これで8割は終了だ。あとはさんまを焼いて食べるだけだ。

 

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みんなで並べて

 

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焼く

 

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焼けた!

 

美味しい。そのまま食べてももちろん美味しいのだけれども、会場には醤油やすだちなんかも置いてあって、より美味しくいただくことができた。

 

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さんまを焼いて食べるためだけの空間

 

ふと見回せば大の大人達が皆おいしそうにさんまを焼き、つついている。照りつける太陽、さわやかな風、焼きさんま。人はこれを青春と呼ぶのだろう。

 

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食べ終えたら次のさんまを焼く。ガンガン焼く。

 

一通り焼き終わったところで師範代がおもむろに参加者皆実技は合格と言った。お気付きの方もいるかもしれないが、先に述べた通りさんま焼き師認定試験における実技は『講習』なので、不合格という概念がない。全員合格金メダルなのだ。師範代の言葉に強い予定調和の文字を感じた。

 

各々が焼きさんまを堪能したところで1日目の実技講習は終了となったのだが、さんま焼き師認定試験はこれで終わりではない。翌日には筆記講習と筆記試験が待ち構えているのだ。さんま焼き師という資格においてはむしろ唯一の試験である筆記試験がある2日目こそが肝要と言ってもいい。我々に安寧の地はない。夜を徹して勉強しなければならないのだ。

 

解散後我々はただちに宿にチェックインし、ひと眠りし、風呂に入り、晩飯を食べ、ぐっすり寝た。

 

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晩飯では一足先にほたて焼き師になった

 

 

翌日、筆記講習及び筆記試験である。 

さて、ここで講義内容だとか、試験内容を書いてしまうと観光協会の方々に迷惑がかかってしまう可能性がある。そのため、具体的な内容に関しては控えさせていただく。この先は自分の目で確かめてほしいというやつだ。ただ一言言えるとしたら、講義がとても丁寧だったということだ。師範代が試験範囲をおそろしく丁寧に解説してくれたのだ。こんなの、もう落ちる人誰もいないじゃないかと思うほどだった。例えるなら一昔前の、キャンペーン名がそのまま問題の答えになっているクイズの感覚なのだ。

 

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こういうやつ。

 

そんな講義と筆記試験をもってさんま焼き師認定試験は終わった。結果は7月中に郵送で知らされるとのことだったが、事ここに至ってはそんな事もう関係ないと思った。1人1人がこの2日間、さんまの事を想い、焼き、食べた。俺達はもうすでにさんま焼き師なんだ。

 

 

 

おまけ

 

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いい話のような締め方でうやむやにしてしまったが、後日ちゃんと合格証が届いた。よかった。