超かぐや姫!という映画がある。
元はNetflix独占配信であったものの、あまりの反響ぶりに2/20(金)から1週間限定で劇場公開……だったのが、反響に反響を重ねて現在11週目。興行収入も23億を突破した、まあ訳のわからない映画である。
私はこれにハマった。いわゆる「沼」に落ちたのだ。
3/1に友人に連れられて観に行って以来、3/1*1、3/14、3/24、4/3、4/4……と順調に視聴回数を重ね、現在11回目(内劇場10回)という体たらくである。
元来同じ映画を何度も観るタイプのオタクではない。そもそもひとつのコンテンツにここまでハマったこと自体人生で初めてだ。
どうしてそんなにハマってしまったのか。はたして一体おれは今どこにいるのか。一度整理したく筆を取っている次第である。要するに盛大な自分語りをさせてもらうのだ。隙を見せた方が悪いのだ。へけっ。
以下、超かぐや姫!のネタバレを含む。ネタバレを避けたい方は先に、というよりまだ超かぐや姫!を観ていない方は必ず観てください。それはそう。
目次
- 初めての超かぐや姫!
- そして『ray』が流れた
- VOCALOIDと現実世界
- 星という概念 あるいは呪い
- 2度目〜3度目の超かぐや姫!
- 4度目〜6度目の超かぐや姫!
- n度目の超かぐや姫!
- 余地、余白のあるコンテンツ
- 生きるのは最高だ
初めての超かぐや姫!
初めての超かぐや姫!は立川シネマ・ツーの極音上映であった。はちゃめちゃに良い音響に加えて作品そのものの聖地でもあり、振り返ってみれば考え得る限りベストな初体験である。誘ってくれた友人に感謝だ。これが論文なら謝辞に彼の名前が載っていることだろう。

肝心の内容はどうだったかというと、素直に「かなり面白い映画」くらいであった。かぐやとの邂逅に始まりBlack OnyXとのKASSEN勝負、コラボライブ*2、そして卒業ライブと本家竹取物語を現代にリデザインしたような展開を「へ〜こういう感じね」という気持ちで眺めていた。終盤のヤチヨの真相のくだりがかなり好きなお話だったこともあり、これは確かに評判になるわ、面白いわ~と自分なりに満足していた。
スタッフロールが流れるまでは。
そして『ray』が流れた
イントロで「あっ、BUMP OF CHICKENの『ray』じゃん」と気付いた、その瞬間。
涙が止まらなくなった。『ray』の歌詞が、電子の海の歌姫たる初音ミクが、月見ヤチヨが。自分の中で一本の線で繋がった。全てを理解してしまったのだ。
上映が終わって映画館を出てからも、しばらく何も喋ることができなかった。『ray』によって超かぐや姫!という映画があまりにも完璧に、綺麗に補完されてしまったから。
もちろん面白かったし、すごかった。友人に連れられて来たのだ、感想の一つでも言ったら良い。でもそういう感想は起きた現象に対する総括であり、この体験を終わらせる、あるいは完成させるための言葉だとすら思った*3。だがこの映画は『ray』によって物語として完全に完成されている。だから喋る必要がなかったと言ってもいい。あえて何かを発するなら「ありがとうございました」だと思った。
VOCALOIDと現実世界
なぜそこまで『ray』が刺さったのか。それはおれがかつてニコニコ動画の、というかVOCALOIDのオタクだったことに遡る。この章はもはや超かぐや姫!とはほとんど関係ない話をします。
具体的には2007年〜2009年の間、おれは狂ったように初音ミクの楽曲を聴いていた。超かぐや姫!にも出てくる『メルト』や『ワールドイズマイン』はもちろん、毎日のように 「かわいいミクうた」というタグの検索結果を投稿日の新しい順でソートし日々投稿される楽曲を執拗に追っていた*4。
その頃のVOCALOIDは、まあ、なんというか今ほど世間の日の光を堂々と浴びて良い存在ではなかった(ように思っていた)。だからPSPで初音ミクのゲームが出ます!と発表された時は「いいのか!?そんな、世間で有名なゲーム機に初音ミクが出てしまっても!??!?」と思ったし、あまりの感動に初報のPVを何度も何度も見直したのを覚えている。なんなら今でも半年に一回くらい見る。初報で流れた『ストロボナイツ』のことをProject DIVA全体のテーマソングだと思っている。
これ
やがて日は過ぎ、年は過ぎ、ファミリーマートで『ぽっぴっぽー』の野菜ジュースが売られ始めたり、GoogleのCMで『Tell Your World』が流れるようになった。このあたりから街中でも初音ミクのイラストが見受けられるようになったりして、ああ、ついに世間に受け入れられたんだなあと思い始めた。
そして現れたのが『ray』である。初音ミクが実在のアーティストと、しかもあのBUMP OF CHICKENとコラボ!電子の海の歌姫がメジャード真ん中で人間と一緒に手を取り合って歌うのだ。それはもう胸がいっぱいになったものである。
そんな『ray』なのだ。歌詞はもちろんとして、その『ray』がエンディング、そしておそらくは作中の復活ライブで歌われることの意味たるやなのである。
星という概念 あるいは呪い
月見ヤチヨの真相のくだりについても一言だけ触れておきたい。なぜならこの部分はそもそもお話として「癖」と言えるほど好きだからだ。
おれは、「他人から見たらあるいは当たり前でなんでもないようなことを、けれど当人にとってはあまりにも大きな光として後生大事に抱きしめ、それを一番星として前に進み続けられるキャラクター像」が大好きなのだ。
超かぐや姫!においては、かぐやにおける彩葉との日々がそれであった。だからこそかぐや/月見ヤチヨは8,000年もの間を歩み続けることができたのだ。8,000年だぞ、8,000年。「おばあちゃん」とかいう言葉で済ませていいわけないだろ。怒るぞ。そういういじらしいところも含めて月見ヤチヨが本当に好きだと思った。
ちなみにこのキャラクター像の概念は完全にFateによって植え付けられた。『Fate/Grand Order』のアルトリア・キャスターを筆頭として、キリシュタリア・ヴォーダイムや、あるいはそれが呪いに転じたものとして『Fate/stay night』の衛宮士郎が挙げられる。直近で言えば『呪術廻戦』の虎杖悠仁も近いかもしれない。
2度目〜3度目の超かぐや姫!
ということで終盤にかけて月見ヤチヨに対してありえない勢いで刺さってしまっため、これはもう一度観ないとダメだと思った。2度目は帰宅してそのままNetflixで視聴し、3度目は再び立川に赴いた。なお、ここまでの間に劇中の楽曲も聴き込んだ。
瞬間、シンフォニー。は愛
— りばすと (@Dash_Kojima) 2026年3月13日
通勤中に書かれた限界の感想
感想としては、いわずもがな月見ヤチヨである。本当におれは同じ映画を観ているのか?と思うくらい、初回と比較して受け取る情報量が段違いであった。ヤチヨの一挙手一投足にあまりにも意味が込められており、気づいたらもう終始泣いていた。コラボライブの前口上はあんまりにもあんまりすぎて「ひっ」って声が出るかと思った。「キラキラのかぐや姫は、もう、おばあちゃんです」では声を上げて泣かないように必死に食いしばっていた。常識のある大人だから。
このあたりからX(旧:Twitter)で日がな一日超かぐや姫!のファンアートや考察を漁るようになった。あっという間にX(旧:Twitter)のおすすめ欄が超かぐや姫!に関するポストしか流れてこなくなり、そういうことも人生で初めてだったのでおすすめ欄ってこういう使い方をするんだという学びを得た。片っ端からいいねとブックマークをした。今もしている*5。
4度目〜6度目の超かぐや姫!
ここまで月見ヤチヨが月見ヤチヨがと言って視聴してきたが、繰り返し観ている内に物語全体の理解が深まってきた。このあたりから分かってきたのだが、この映画、喋っている部分も喋っていない部分も、いやむしろ喋っていない部分にこそ丁寧に意図が織り込まれており、観れば観るほど描写の意味や背景が理解できるようになっているのだ。
初めのころは正直少し唐突に思えた発言や行動の「なぜ」がほどけてゆくように感じた。「なぜなぜ分析」である。かのトヨタも超かぐや姫!を観る時は「なぜ?」を繰り返すと良いと言っていた。
なぜ、かぐやはあのタイミングで自分でハッピーエンドにすると決めたのか。なぜ、かぐやはKASSENで笑う彩葉を見て「やったー!」と言って泣いたのか。なぜ、かぐやは彩葉に「お母さんのこと、好き?」と聞いたのか。
「キラキラのかぐや姫は、もう、おばあちゃんです」は、その後の「かぐやはそんな顔しなかったじゃん」からの無言の風景カットまでドカ泣きするようになった。なんで風景が映し出されてるだけのカットで吐きそうなくらい胸が苦しくなるんだよ。おかしいだろ。
アニメ映画は全てのカットを明示的に描かないといけないため、逆説的に偶然の余地なく意図が生まれる(べき)、と考えることがある。この思いに完全に答える映画だと思った。
n度目の超かぐや姫!
前項くらいまではあの描写はこうじゃないか、この描写はこれを意味していて……と考察を深めていったが、ひととおり通り過ぎた結果、最近は「ぜんぶいい」になった*6。もちろんノベライズも公式ガイドブックも読んだ。彩葉を好きになり、かぐやを好きになり、皆を好きになった。特にノベライズは彩葉の理解がグッと深まって良かった*7。
ここまでくるとヤチヨの一挙手一投足で泣けるどころか、かぐやの一挙手一投足、彩葉の一挙手一投足で泣いている。というか、もう後半に至っては泣いていないシーンがどこなのかよく分からない。終わった後に疲れている。泣きすぎて軽い頭痛すらする。成人男性が一年で外で流してよい涙の量を一度の視聴で越えている。そんな感じである。
直近の数回は作中で精神的に成長していくかぐやと、一方で等身大の感情を取り戻していく彩葉の精神性の曲線を味わっている。その最たるものが花火大会であり、だからこそあのシーンはずっと、本当にずっと泣いてしまう。
余地、余白のあるコンテンツ
ちょっと引いた視点の話をする。超かぐや姫!が流行り、そしておれがここまでのめり込んだ理由の一つに考察に耐える余白があるように思う。意図的であるにしろ作劇上そうなったにしろ、描写を丁寧に仕込んだ上であえて全てを描き切らない、広がりの余地が残されているのだ。最近では『都市伝説解体センター』もこれに当てはまると思っている*8。そして今のインターネットのオタクはそういうのが大好きなのだ。少なくともここにいるオタクはそうだ。
生きるのは最高だ
超かぐや姫!のどこが良いのか?と聞かれたらもはやなにを答えたら良いのか分からないくらい好きで溢れているのだが、あえて最後に挙げるならばラストの「あなたの物語もそうでしょ?」と『ray』の「生きるのは最高だ」が本当に大好きだ。ここだけはもはや超かぐや姫!の話をしておらず、おれの、おれだけの人生の話をしている。
『超かぐや姫!』はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がない。しかしおれの物語は違う。おれの物語はおれだけのものであり、ハッピーエンドにできるのはおれだけである。運命は変わらなくとも、おれはおれ自身のハッピーエンドに向かって頑張らなくてはならない。
頑張ろうと思う*9。
*1:家に帰ってNetflixでそのままもう一度観た
*2:後述の通りかつてVOCALOIDのオタクだったので、『ワールドイズマイン』のサビの演出だけは飛び上がりそうになるくらいびっくりした
*3:旅行帰りに「楽しかったね」と言い合ったりするが、その楽しかったという思いや言葉で旅行は完成するのだ。物語が「めでたしめでたし」をもって終わるように。
*4:せっかくだから当時めちゃくちゃ好きだった曲を置いておく。あとは頼んだ
*5:そうこうしていたら最初に誘ってくれた友人の超かぐや姫!用のアカウントが流れてきた。そっといいねしておいた
*6:所謂こち亀の「アオ、いいよね」「いい…」である
*7:ノベライズに関しても言いたいことは無限にあるが、彩葉でいえば「また、私だけが泣いている。」がボディブローのように効いてくる。少し泣く。
*8:し、これもまためちゃめちゃにハマった。ネタバレにつき何も言えないが、おれは"あの"キャラクターが本当に大好きなんだ。
*9:かねてより人はすべからく幸せになるために意志を持って努力すべきだと思っている節がある。その文脈でYOASOBIの『UNDEAD』という曲が大好きだ。特にCメロからラスサビ。ぜひ聴いてみてほしい。蛇足〜っ




















