ぼんやり参謀

好きな事について書いたり、薬にも毒にもならないことを考えたりします。

ソーセージと法律は作る過程を見ない方がいい

ドイツのことわざにはソーセージを使ったものがある。すでにnaverまとめ等に上げられているため、ここでまとめ直すことはしないが、「ソーセージにはソーセージを」「ベーコンを求めてソーセージを投げる(=海老で鯛を釣る)」などがそれだ。

そういう国民性、とてもいいと思う。日本もお寿司とかでことわざを賄うといいんじゃないか。例えばこんなの。

 

・シャリを締めてネタを忘れる

-些細な事に気を取られ、大事を失うさま

 

・鉄火の河流れ

-人気のないさま

故事:回転寿司屋にて、鉄火巻がいつまでも取られずにレーン上を流れていたことから。

 

・あがりとオヤジは渋めがよい

-決まりきった定番のたとえ

*あがり…寿司屋で出されるお茶の通称

 

・寿司は1日にしてならず

-長年の努力なしに成し遂げることはできないというたとえ

 

・皿洗い3年握りに4年(表記ゆれ:皿に3年握りに4年)

-長年の努力なしに成し遂げることはできないというたとえ

 

ちなみに蕎麦についても考えようとしたが、検索してみたところどうやら普通にあるらしい。まじか。

なあ兄弟

いちゃりばちょーでー」という言葉を知った。

沖縄の言葉で「一度会ったら皆兄弟」という意味らしい。

なるほど、いい言葉だ。EXILEが日に日に増えていくのも分かる。

 

少し昔には「我ら生まれた時は違えども死すべき時は同じ日同じ時を願わん」という言葉もあった。これも兄弟の誓いを立てた男達の言葉だったはずだ。

残念ながら三国志には明るくないので、歴史的な背景だったりなんなりはよく知らない。しかし、ズッ友感溢れる良いパワー・ワードだなと思う。飲み会の度に言ってまわりたいセリフだ。

 

飲み会といえば、以前飲み屋で出会ったエジプト人が、「国籍なんて関係ない、大事なのは気持ち」と流暢な日本語で喋っていたのを思い出した。

あの人、色が黒いだけで本当はただの沖縄県民だったのかな。

次は銀色の全身タイツを開発しよう

巷でよく聞くVR、なんとなくすごいことは分かるけど、要るか要らないかで言われたらやや要らない気がする。

これはおそらくVRがプラスアルファの技術であるからだ。

生活必需品であったり、あからさまに生活品質を向上させるようなものは、出現と同時に爆発的にヒットするだろう。冷蔵庫とか、パソコンとか。

それに対してVRはプラスアルファという感覚を受ける。つまり、あれば何かしらがそれなりに良くなるけど無くて困るわけではないということだ。いや、VRに詳しいわけではないので自分が知らないだけの可能性もあるけど。

まあ、考えてみればスマートフォンもあまり必需品でない気がするが、これだけ普及したのだ。VRもそのうち一人一つは持ち歩くようになるんだろうか。

街中とかでも付けて歩くの、「21世紀の未来の地球」に近づいた感じがするな。見た目だけ。

JMK!

ぐんまの魂、上毛かるたが好きだ。

自分自身ぐんまに住んでいたこともあり、一通り叩き込まれてはいたのだが、それも相当昔の話である。

読み札もだいぶ忘れていたので、いい機会と思って空で暗唱できるまでには叩き直した。

こうなると否が応でも高まってくるのが大会への参戦欲だ。

 

調べてみると、上毛かるたは2013年より全国大会が開催されているらしく、全国の精鋭達が切磋琢磨しているらしい。

さらに、自分みたいな未熟者向けに,"for beginners"版も今年開催されたようだ。

出たい。for beginnersでいいから出たい。

今年は1月開催だったので、来年も同時期に開催してくれると信じて、残る8ヶ月鍛錬を積んでいきたい。

www.kingofjmk.jp

 

鶴のコスプレをしたぐんまちゃん、一昔前の暴走族っぽい。

東京ドームいくらか分の愛

物の大きさを示すのに「東京ドーム○個分」という表現があるが、なぜ東京ドームなのか、その歴史が知りたい。

理由はおそらく有名だからとか、広いからとか、そんなものなのだろうが、なぜ「東京ドーム」で定着したのか、誰がどんな意図で言い出したのかが知りたい。

建設当時よっぽど大きく、インパクトがあったからだろうか。

最近はどんどん高く大きな建造物が建てられているのであまり大きさに驚くことは無くなってしまったが、もしも東京ドームよりもインパクトのあるものが登場してしまったら単位としての東京ドームはお役御免になってしまうのだろうか。

そもそも東京ドームにインパクトを感じるのは建設当時の一定層だけだと思うので、もうしばらく経てばその時代のテレビを観る層にあった単位に世代交代するのだろうか。渋谷ヒカリエ5本分とか、バスタ新宿6個分とか。

 

なんか面白いこと書いてないかなと思って調べていたら、DANCE☆MANの「ドーム3個分ってどのくらい?」という曲が出てきた。ちょっといい曲。

コミックソングめいた曲の中にスッと差し込まれる真摯なメッセージ、とても好き。

くやしいCMはいいCM

「赤ちゃんの肌と五郎丸の肌、全く違うようで、実は同じ弱酸性」というフレーズを聞くたび、いやいや、と思う。そんなんだったら俺とキムタクも全く違うようで実は同じホモサピエンスだ。

同様に「僕満島です」「初耳だ」もついツッコミを入れてしまう。これは「それ、早く言ってよ〜」でおなじみのSansanのCM。どちらもツッコミを入れた直後にやられた!と悔しくなってしまう。だってそれが狙いだから。

CMの目的がその媒体の宣伝ならば、大事なことはその商品なりなんなりを印象に残すことだ。悔しいことに、ついツッコミを入れてしまうようなCMは大概記憶に残っており、このように記事に書けてしまう。印象を残す事に成功しているのだ。本当に印象に残らないCMは、思い出せもしない。例として挙げられることもない。

最近のCMは昔話のキャラクターが出てきたり、歌ってみたりと色々な手法で印象を残しにかかってくるが、自分は上記のようなツッコミたくなるCMが何かテクニカルな感じがして好きだ。

 

(蛇足だが、SansanのあのCMは本当に好きだ。それまでの、初耳で当然の情報が出てくる「初耳だ」シリーズがあってこその違和感がたまらない。)

ぼんやりセブン

とにかく自分は映画も観ない。

だけど観たい。いや観たくはない。正確には「映画を趣味にしている人」になりたい。何かかっこいい気がするから。

 

以下、おおよそ前回と同様の話である。

兎にも角にも読書だとか、映画だとか、そういった高尚な趣味を持ちたいのだ。

 

生まれてきて早幾年。そろそろ「ゲームが好きです」とか「マンガ読んでます」とかでは許されない年齢になってきている。それは分かっている。だから実際にはそうであっても口には出さない。しかし、困ったことに私には他にぱっと思いつく趣味がない。無趣味なのだ。真っ白なカンバスにゲームとマンガの絵を描いてほしい。それが私の脳内なのだ。

したらば趣味は無いと言うしかない。しかしこれもよくない。「趣味は?」と聞かれて「いや、特に無いかなあ」と答えることは上記の二つと同列で許されざることだ。少なくとも世間ではそうだ。そうらしい。そうに違いない。

 

ここで、実現可能性はともかく、以下に他人に話して一定の評価が得られそうな趣味をピックアップする。

・読書

・映画

・釣り

・写真(イチオシ)

・バイク

・マラソン

・アプリ開発(ナウい

・史跡巡り(渋い)

・etc.

 

もちろん反論もあるだろう。そもそもゲームやマンガだって立派な趣味だと主張する御仁もいるかもしれない。気持ちは分かる。私だってそう思ってる。しかし、ジャッジするのは私ではない。ジャッジするのは世間なのだ。そして残念ながら世間はゲームやマンガに厳しいことが多い。上記のような趣味に寛容であることが多いのだ。

ただし、ここで気をつけなければならないのは、一定の評価を得るためにはしかるべき環境でこれらの趣味を行わなければいけないということだ。

例えば穏やかな昼下がり、小洒落たカフェで読書をするのはとても見栄えがいい。しかし、読書に熱中するあまり寝食を忘れ、ゴミまみれの屋敷の中でひげはぼうぼう、髪は伸び放題の男が「読書が趣味です」と言ったところで「本としかコミュニケーションが取れないのかな」と思われるのが関の山だ。環境が大事なのだ。スタバか八百屋かと言われればスタバでMacを開くべきなのだ。

 

ということで上記のようなものを趣味にしたい。その中で一番楽そうな読書と映画に今後手をつけていこうと思う。仮につけていないくとも、それらを趣味と言えるような格好をしていきたい。

 

「君はいつも何と戦っているんだ」と幾らかの人から言われたことがある。

その通りだなあ、と思う。